波尾の選択 傑物たちの至言に触れて

名言を超えた至言。生を突き詰める傑物達。至言に触れて触発された想いを綴ります

傑物の至言-25 Coen Brothers - Joel Coen & Ethan Coen(コーエン兄弟-ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン

 この映画は本当に物語がなく、筋もない。だから私たちは猫を加えた。そう、猫を中心に映画は展開する  

  2013年カンヌ国際映画祭「Inside Llewyn Davis(インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌)」上映後会見にて

 

1996年『Fargo(ファーゴ)』という絶対的傑作を見た時、

「なぜこの映画は凡百の犯罪映画と違うのか」と考え、

1991年『Barton Finkバートン・フィンク)』を見直し、

1990年『Miller's Crossing』

1984年『Blood Simple(ブラッド・シンプル)』を改めて凄ぇと見ていたのがもう20年以上前のことになるのか。

「映画が好き」という奴らに『Fargo(ファーゴ)』を見ろと勧めまくり、「見たよ」「どうだった?」「うん面白かった」「・・・・」

 俺は「面白い」映画お勧め屋じゃないんだ。

あのオープニング、曲とともに車の鼻先を上げ画面に入ってきた瞬間からの只事ならぬ気配。

North Dakota(ノースダコタ)州の中では最も人口が多いというFargo(ファーゴ)、雪が四方世界から閉ざした空間、そこで住まう人間たちの生活の中に、その車は事件を産みに斬り込んでいく。

 偽装誘拐事件が殺人に発展するという縦軸は登場人物全員がネジ一個以上足らないか、外れている言動の秀逸さに覆われ、人間たちの阿保さを露呈するための装置でしかなくなる。

 安易に言ってしまえばFrances McDormandフランシス・マクドーマンドJoel Coenの奥さん、アカデミー賞エミー賞トニー賞受賞女優)演ずる警察署長以外、全員普通とはズレている!そのズレ方がなんともひとりひとりニヤッとさせられたり「おいおい」と言いたくなったりと絶品の技。

 何十回見ても、もう台詞を覚えてしまっているシーンでも「その言い方」「その仕草」で言われると堪らない、ってぇいうのを味わったのか?伝わったのか?

 こんなヒネ方はテクニックで創れるわけもなく、Joel CoenEthan Coenの視線そのものなんだと周囲に賛同者を得られなくても納得していたのは遠い昔。

 1998年 AFI(American Film Institute)が選ぶアメリカ映画ベスト100」の中に『Fargo(ファーゴ)』が入っているのを見た時、生まれて初めてアメリカ人にもまともな評価をする人がいるもんだと感心した。

 今では映画『Fargo(ファーゴ)』の世界観を継承するTVドラマ『Fargo(ファーゴ)』が制作、放送(シーズン1~3は放送済み、

2019年シーズン4が制作)されるに至っては、

「なんだ、皆んなこういうの好きなんじゃん」

 

 ご存知のように、アメリカは州によっての特性の差は他国かと思うほど存在し、多民族国家特有の捻れ、異種格闘技的価値観の相克が常に危険性、不安定性、藩財政の温床となっていると同時に、「異なるものを認めないといけない」という認識の必然性が産まれることになった。

 そうしないと「他人と共存なんかできない」から。

 それは我が国が最も苦手とする視線なのではないか。

 

『Fargo(ファーゴ)』は私にとってオールタイム・ベスト映画の一本。

『Fargo(ファーゴ)』の話ばかり書いたが、

 

 

 

 

その後もCoen Brothersは絶好調。

1998年『Big Lebowski(ビッグ・リボウスキ)』Jeff Bridges

ジェフ・ブリッジス)のダルさ全開、John Goodman

ジョン・グッドマン)、Steve Buscemi,スティーヴ・ブシェミ等、出来れば友達になりたい魅力的ないつもの役者たちに快演させてみせ、

2001年 Man Who Wasn't There(バーバー)』の一筋縄いかぬ冷徹さを爆発させ、さらに突き詰めていった、

2007年 『No Country for Old Men(ノーカントリー)』では非の打ちどころのない冷酷さと身も蓋のなさで傑作を撮り、アカデミー賞作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞受賞(ノミネートは8部門)をかっさらってしまう。

 

 

 

 もう誰にも止められないCoen Brothers節、時としてやり過ぎ(わざとだろうが)、意味不明、過剰(わざとだろう)な語り口で普通に見れば空回りするシーンも無いわけじゃ無いが、そんなことはこのBrothersにはお構いなしなんだろう。

 

 

 

 さてさて、2013年「Inside Llewyn Davis(インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌)」である。

 Bob Dylanボブ・ディラン)の憧れの存在だったフォーク・シンガーという紹介のされかたをされる

Dave Van Ronkデイヴ・ヴァン・ロンク回顧録『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃(日本では版元絶版)』をもとに、Coen Brothersが自由に脚色した映画だという。

 

「物語がなく、筋もない」といっても一応物語は進んでいく。

「で?」「え、そこでなんで?」という?がたくさん散らばったままにされているけど。

 

 Coen Brothers節の冷酷な面に重心が傾き、あの年代、あの場所の空気を観せてくれる。

 

「何が言いたいの、この映画」

「自分勝手なヤツじゃん」

「こいつ嫌なヤツだ」

そういう感想をよく聞いた。

 

あなたたちは、映画をなんと心得ておるのか?

映画、藝術は君たちの濡れタオルじゃないのだよ。

 

映画が分からない時、映画のせいにするのかい?

分からない自分のせいかも知れないぜ。

 

 起承転結、分かりやすいストーリー、みんなが欲しがるメッセージ、解答、そんなものは言葉にされていない。

 画面の中に、空気の中に、観終わった時の君の気分の中に、ヒョ通したら少しだけ欠けらが見えるかもしれないけどね。

 

 

Joel Coen (ジョエル・コーエン1954/11/29

Ethan Coen (イーサン・コーエン1957/9/21

映画監督、脚本家、プロデューサー

 

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『けだし名言』

ただの名言、格言、金言じゃなく、本質に迫る言葉が『至言』。

ただの有名人、著名人じゃなく、怪物級、規格外の人物が『傑物』。


その『傑物』の『至言』が放たれた奥底に迫りたい。