波尾の選択 傑物たちの至言に触れて

名言を超えた至言。生を突き詰める傑物達。至言に触れて触発された想いを綴ります

【映画批評家が選んだ】映画ベスト10 2012年(BFI)

【映画監督が選ぶベスト映画】と同時に実施された【映画批評家が選んだ映画】、



1位「めまい」

アルフレッド・ヒッチコック監督

2位「市民ケーン」

オーソン・ウェルズ監督

3位「東京物語」

小津安二郎監督

4 位「ゲームの規則」

ジャン・ルノワール監督

5位「サンライズ」

F・W・ムルナウ監督

6位「2001年宇宙の旅」

スタンリー・キューブリック監督

7位「捜索者」

ジョン・フォード監督

8位「これがロシアだ」

ジガ・ヴェルトフ監督)

9位「裁かるるジャンヌ」

カール・テオドール・ドライエル監督

10位「8 1/2」

フェデリコ・フェリーニ監督


 2012 BFIからの発表

 

先の2012年度版「映画監督が選ぶ映画」(358人の映画監督が選んだ映画の集計)と同時に、実施・発表された846人【映画批評家が選ぶベスト映画】

いやぁ、少し落ち着くなぁ。

しかし「めまい」再評価運動でもあるんかしら、、

 古い作品が選ばれているから、などという単純な理由ではない。

忘れてはならない作品を忘れないのは人間が生きていく上で最も重要なことのひとつではないか?と言いたいだけ。

・奥行きの深さ、考察のレベルが違う。

・豊饒さが桁違いである。

・映画の興奮があちらこちらに。

・観ている時間を忘れてしまう。

・この映画が終わらないで欲しい。出来れば永遠にこの映画が続いて欲しい。

そんな地点まで連れて行ってくれる映画たちのほんの抜粋がここに挙げられている。

ということは、こういう奥行き豊かな映画を映画監督自身が評価しなくなったということか?と短絡的に決め付けたくはないものの、【監督版】への違和感は消えない。

(ただ、私は特に今の日本に多くいる、ただ感想を言うだけの「批評家」の言葉を一切信用しないし、そんな連中の仕事を認めない。欧米の「(特に)かつて」の批評家は創作者と斬り合うが如きの自覚、尊厳を以って仕事をしていた)

 

【監督版】の感想と同様、 

・チャップリンの作品が選ばれていない

・溝口健二の作品が選ばれていない 

・ミケランジェロ・アントニオーニの作品が選ばれていない

・ヴィスコンティの作品が選ばれていない

・ブレッソンの作品が選ばれていない

・ゴダールの作品が選ばれていない

 ・アンゲロプロスのの作品が選ばれていない

は全く変わらない結果だけれども、

・【監督】版で2本選ばれていたコッポラが1本も選ばれていない

F・W・ムルナウが選ばれている!これはサイレント(無声)映画である

カール・テオドール・ドライエルが選ばれている!これはサイレント(無声)映画である。しばしば日本語で「カール・テオドル・ドライヤー」と表記される。

 ・ジャン・ルノワールが選ばれている!しかし『大いなる幻影』は?

1位 1958年、カラー、128分、アメリカ、【監督版】8位

めまい ― コレクターズ・エディション [DVD]

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2位  1941年、モノクロ、114分アメリカ、【監督版】3位

監督デビュー作

【監督版】1992年、2002年1位

【批評家版】1962年から2002年まで5回連続1位

1998年 AFI(アメリカ映画協会) 【アメリカ映画ベスト100】1位

2008年 カイエ・デュ・シネマ【史上最高の映画100本】1位

2015年 BBC【史上最高のアメリカ映画100本(The 100 Greatest American Films)】1位

市民ケーン [Blu-ray]

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3位 1953年、モノクロ、138分、日本 、【監督版】1位

1979年【日本公開外国映画ベストテン(キネ旬戦後復刊800号記念)】第6位

1995年 BBC「21世紀に残したい映画100本」に選出

2009年【映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)】第1位

4 位 1939年、106分、フランス、モノクロ

ゲームの規則 ジャン・ルノワール監督 Blu-ray

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5位 1927年、95分、モノクロ、アメリカ(ドイツ人のムルナウ監督であるが招かれ渡米後の第1作)、サイレント(無声映画)

 1928年【キネマ旬報ベストテン】第1位。

第1回アカデミー賞芸術作品賞、撮影賞主演女優賞(ジャネット・ゲイナー 

サンライズ クリティカル・エディション [DVD]

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6位 1968年、カラー、141分、イギリス(アメリカ)、【監督版】2位

1989年【外国映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)】第1位

1995年【オールタイムベストテン・世界映画編」(キネ旬発表)】読者選出 第1位

2008年 AFI【10ジャンルのトップ10・SF映画部門】第1位

2001年宇宙の旅 [Blu-ray]

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7位 1956年、119分、カラー、アメリカ、2008年AFI【最も偉大な西部劇映画】第1位

捜索者 [DVD]

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8位 1929年、67分、モノクロ、ロシア

未DVD化作品

ジガ・ヴェルトフ監督作品で唯一DVD化されているのが、

マイケル・ナイマン カメラを持った男 [DVD]

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9位 1928年、96分、モノクロ、フランス(ドライエル監督はデンマーク人だが、デンマーク国内、ドイツ、スウェーデン、ノルウェー、フランスと異なる国で映画を撮り続けた)、サイレント(無声映画)

1958年【世界映画史上の傑作12選】(ブリュッセル万国博覧会発表)第4位

2000年【20世紀の映画リスト】(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第8位

2010年【エッセンシャル100トロント国際映画祭発表)第1位

これだけの監督の映画DVDが全て廃盤状態、異常なプレミア価格が付いている嘆かわしい事態

裁かるゝジャンヌ クリティカル・エディション [DVD]

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10位 1963年、モノクロ、140分、イタリア(フランス)、【監督版】4位

アカデミー賞 【衣裳デザイン賞(白黒)】、【外国語映画賞】受賞

       【監督賞】、【脚本賞】、【美術賞】ノミネート

ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞】受賞

モスクワ国際映画祭【最優秀作品賞】受賞

8 1/2 [Blu-ray]

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【映画批評家が選んだ】部門2012年版は846人の批評家に選出されている。

映画監督の2倍以上!

初回1952年1位『自転車泥棒』【 監督 】 ビットリオ・デ・シーカ

1962年から2002年まで5回連続1位『市民ケーン』

 

 ・2012年に選出されているのに【監督】版では1980年以降の作品が挙げられていないことを指摘したがこの【批評家版】では1970年代以降の作品が挙がっていない。
納得しつつもそれはそれで寂しいものがある。
あくまでも上位10本だからということもあるが、、

 

 若い方は、監督に比べ批評家が年寄りが多いからだろ、とお思いになられることだろう。

 私も生まれた時からテレビがあり、映画の黄金期を同時代体験しているわけではないから後から名画座という劣悪な環境やビデオで見た作品が多い、

 さすがに最初はサイレント(無声映画)を見るハードルは高かかった。
しかし自分の敬愛する監督、制作者たちがサイレント(無声映画)の魅力を語るのを繰り返し聞くうちに、観た最初が『サンライズ』『M』(フリッツ・ラング監督)、そして『裁かるるジャンヌ』だった。

フリッツ・ラング・コレクション M [DVD]

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・サイレント(無声映画)とトーキー(今の映画・・・もはや死語)

・モノクロとカラー

・スタンダードとビスタ、シネスコ

・フィルムとビデオ

をそもそも比較して何の意味がある?と今なら製作者でも一考だにしないことだろうが、従来からの製作者はそのことを真剣に考えてきた。というよりも向き合わざるを得なかった。

「面白けりゃいいじゃん」
人がよく、決定打のように口にする言葉だが、実際はなんら決定できていない。

「お前の、面白い、を定義しろ」
と問えば、
「だからぁ、その質問自体、愚問。終わってる。面白いは面白れェんだよ。いちいち定義なんかしねぇの。ノリだよノリ。そん時楽しければいいってこと。わかった?おっさん」
となるだろう。

 それは君自身の人生の時間の中でそう思って生きているのだから、自由だ。
しかし、その論調で映画を観ること、語ることでは何も理解せず、伝わらない。

嫌な言葉だけれども、何も「得られない」。
「得たい」という姿勢には「2,000円近く払って、2時間付き合うんだからなんか得しないとな」という速攻効果を求めるものだろう。

映画は風邪薬ではない。

今や世界中で「泣ける」「感動の」という映画(音楽、小説)から「得られる」と最初にゴールを提示してしまい、何ら疑いなく人はその示された道を進む。
提示通りに「泣けた」「感動した」としても、それは「確認」行為であって、作品を鑑賞する行為とは真逆のものだ。


 映画界、音楽界、出版界で働く者たちの中にも私の指摘に賛同する人間は少ないが確実に存在する。
しかし毎日の会議で「最初から『泣ける』とか言うのやめましょう。ダサいし、本末転倒じゃないですか」と力んだところで、
「お前なぁ、そんな正論をぶっても客はこねぇの。今の時代、いろんなものが溢れかえってんだから、分かりやすくジャンル分けしてやんないと駄目なの。グダグダ言うなら会社辞めて一人でブログでも書いてろ」と上司にたしなめられ、職を失う勇気はないから従ってしまうケースが多いという。

 たしなめた上司にしてもかつては熱い映画青年だったかもしれない。かつては名画座をはしごして年間に200本くらい映画を見て、映画監督を夢見たかもしれない。それが映画宣伝会社に潜り込んで、自分より何歳も年下の監督が撮るCGをふんだんに使った派手だけれどもいつもちゃんと悪者は退治され「愛」「友情」「勇気」の掛け合わせだけなので先週見た映画のタイトル、ましてや監督の名前なんか覚えてやしない、と感じていても「仕事なんだし」と自己を慰めているのかもしれない。
しかし皆がそうやってちょっとずつ違和感を仕舞い込んでいるうちに、どんどんと状況は悪化を辿る。

 ・藝術、といえば映画は藝術なのか?音楽は?小説は?と面倒臭い
・「有名になりたい」「金儲けがしたい」という明確な目的がある人間の作品は商業行為である、とわかる。わかりやすい。どうぞ、ご自由に。
・藝術とまで呼ばずともあえて創作行為、ということにする。
創作行為とはこれまで作られてきた先人達の達成への尊敬があり、その上で少しでも何か一箇所でも乗り越えたい、という試みである筈だ。

そういった試みで創作された作品に触れる前に「この作品のお薦めポイントはですねぇ」と提示するのは作品に対して失礼、邪魔な行為以外何者でもない。

 勇気ある人は是非、4,5,8,9位を見て欲しい。君の人生を少しでも豊かにしたいと心の底から思っているのならば。

 あ、8位はDVDにもなっていないから見られる機会はないのかもしれないが。