波尾の選択 傑物たちの至言に触れて

名言を超えた至言。生を突き詰める傑物達。至言に触れて触発された想いを綴ります

傑物の至言-42 Bruno Dumont(ブリュノ・デュモン)

 

「映画というのはカット自体が意味を持つのではなくて、カットとカットの関係から意味が生じます。ですから私はなるべくニュートラルな演技を求めます。そのカットを編集して初めてそこに意味が生じます。

私は過剰な演技、はっきりと意味が読み取れるような見え見えの演技が嫌いです。私が好むのはむしろ断絶や破綻であって、俳優の表情が無関心でもかまいません。極端に言えば演技は必要ありません。そこにあるのは非演技、演技の不在です」

 

さすがである。

ユマニテ/L’Humanite』
欲望の旅(Twentynine Palms)
『フランドル(Flandres)を観た時の衝撃。

こんな確信的な映画を撮る人は最近あまりいないので驚いた。
いつ観てもその感覚が鮮烈だ。

ユマニテ [DVD]

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 映画は監督のものであり、監督が撮りたいカットを撮り、編集し、完成させる。
当たり前のように思えるが、役者が(監督の意図通りじゃない)演技をしてしまっても「まぁいいか」としたままの映画、プロデューサーが権限を持ち過ぎているハリウッド。ロケ場所、季節、天候、撮影した時間帯、予算、キャスティングも監督のイメージ通りの人間だったのか、映画はあまりに多くの要素が絡み合っており、当たり前のような監督権限が、監督のイメージ通りにフィルムに焼き付くことがいつも可能なわけじゃない。

「思うがままのカットが撮れるまで何度もやればいいい、待てばいい」と言えるのは莫大な予算と権限、締め切りのない映画にしか許されないことだ。

 そんな贅沢は逆に低予算の「撮られることを知られていない」自主映画の方にこそ余地があるのかもしれない。

黒澤明は映画の邪魔になると言ってカメラに映り込んだ家を「どかせ」と言った。

かつて、一部の映画はそういうことが言えた時があった。

 どこまで監督の確信をフィルムに撮れるか、映画監督の仕事は最初から最後まで闘いの連続だ。

欲望の旅 [DVD]

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私は常に断絶を求めています。風景のなかに鳥の声が響いていて、そこに突然全速力で走る新幹線が入ってくる。そんなシンプルな二項対立で私は映画を作っているような気がします。

 

そう、素晴らしい映画には素晴らしい音か音楽が必須だ。たまに映像はいいのに音楽、音の付け方で映画をぶち壊してしまっているものがある。たまたまカメラマンが優秀だったのに監督が馬鹿だったのだろう。

アメリカは、現代人が持つイマジネーションのモデルになっています。そのモデルこそ、私たちがテロ行為を加えて、革命を起こし、メディテーションへと引き込むべき対象ではないかと思うのです。なぜなら、アメリカというモデルによって形作られるイマジネーションは、私たちを疎外するからです。私は、芸術家はテロリストだと思います。

 引用はすべて「Esquire2001年6月号より

 

 全く揺るがない確信の元に映画を撮っていることがこの発言からも伺える。

敢えてテロリストという単語を選んで発言するあたり、相当意識して好戦的に振舞い、カウンターを欲しがっているかの如くさえ感じられる。

 反論できるものなら、反論したいのならいつでもどこからでもかかって来い、と腹を括った者だけしか口に出来ない発言だ。

 

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傑物の至言-33 Michael Haneke(ミヒャエル・ハネケ) で書いた

ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)、ブリュノ・デュモン (Bruno Dumont)。これだけの確信を持った人間だけが真の映画を撮る事ができる。

ゴールの決まった「お仕事」映画を撮る方々とは別の話です。

 

1997年『ジーザスの日々(La Vie de Jesus)』カンヌ国際映画祭カメラドール特別賞(新人賞)受賞、ジャン・ヴィゴ賞、アヴィニョン、シカゴ国際映画祭など受賞

1999年『ユマニテ(L'Humanité )』カンヌ国際映画祭グランプリ、主演男優賞、主演女優賞を受賞。

2003年『欲望の旅(Twentynine Palms)』
2006年『フランドル(Flandres)』カンヌ国際映画祭グランプリ受賞

ここまでの映画を観て、DVDで何度も観返し、凄ぇなぁと観る度身体ごと揺さぶられ、こんな作風で反ハリウッドの姿勢を貫く映画をちゃんと評価する海外の映画祭の視点も大したものだと思っていた。

 無論、受賞はせいぜいダブル受賞止まりだから、選に漏れた映画が総て駄目だという図式にはならないが。

しかし!問題はそんなことではないのだ。

 

傑物の至言-40 Van Morrison (ヴァン・モリソン) -

の文中で、私は書いた

ニール・ヤングNeil Young)→

傑物の至言-28 Neil Young(ニール・ヤング)

ミヒャエル・ハネケ(Michael Haneke)→

傑物の至言-33 Michael Haneke(ミヒャエル・ハネケ) 

イーヴォ・ポゴレリチ(Ivo Pogorelich)→

傑物の至言-39 Ivo Pogorelich(イーヴォ・ポゴレリチ)

 

達も、今回のヴァン・モリソン(Van Morrison)にしても作品が発表され続けられるという恵まれた環境にいる。いくらメディアや関係者から疎まれても確実な支持者を獲得した仕事があるからこそ、傑物はさらに前進を続ける。

しかし、なんとブリュノ・デュモン (Bruno Dumont)のその後の作品、

2009年『ハデウェイヒ (Hadewijch)』
  トロント国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞

2011年『アウトサイド・サタン(Hors Satan)』 
  第1回サンジェルマン賞の最優秀フランス映画賞を受賞

2013年『カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇(Camille Claudel 1915)』
  ブリュッセル映画祭、審査員特別賞受賞
2014年『P'tit Quinquin』 
  初のテレビシリーズカンヌ映画祭で特別上映。
  『カイエ・デュ・シネマ』誌の年間第1位。

と発表する作品が相変わらず最高に近い評価を得ているにも関わらず、いずれも全くDVD化されておらんのだよ、この国では!

1997年『ジーザスの日々(La Vie de Jesus)』も未DVD化だ。

 映画とは、
・最悪の事態は未公開
・海外映画は日本未公開
・公開されても不入りと劇場が判断すれば上映打切り
・DVD化されない
・放送、配信もされない

となれば「存在する映画を観ることそのものが不可能」なのだ。

これは何たる事態なのだ?

辛うじて、各国の映画祭が賞を与えることで評価の事実が記録される。

もちろん、多くの映画は受賞もせず、フィルモグラフィの列に一行加わるだけで、フイルムは配給会社の倉庫に置かれたまま時が流れる。

 

観せろ!ブリュノ・デュモン (Bruno Dumont)の映画を。
3本だけDVDして済むと思っているのか!

おい、デジタル!

様々な流通形態を破壊しているだけじゃなく、せめて総ての映画をいつでも観られる様に構築せよ!

技術的には何ら問題なかろうが。

 

 

ブリュノ・デュモン - Wikipedia

1958/3/14- 現在61歳

映画監督